2021/12/03 14:05

こんにちは。店長おかたむです。


今日12月3日は何の日かご存知ですか?(記事のタイトルでネタバレしてますが。)

『世界障害者デー』です。

これは国連が1982年に定めた
障害者問題への理解促進、障害者が人間らしい生活を送る権利とその補助の確保を目的とした国際的な記念日
です。



冒頭から毒吐きをしてしまいますが、私は個人的にこの「障害者」という日本語が好きではありません。

「障」「害」って、マイナスでしかないみたいな。
この文字だけみても、どこか劣っている人たちのような。そう思いませんか?


「障害」と一言で言っても、身体的不便のかる方から精神的サポートが必要な方、様々な特性がある方がいます。
近年は、発達障害に関しても欧米の知見が輸入され診断もつきやすく、こうした「発達障害」とされる方々の人数も増えています。



現代教育では、こうした「障害者」とされる人々は、一般的な学校から離され「特別支援学校」と呼ばれる、
そうした特性のある人だけを集めた学校へ行き、そこでのレールに乗り進路も決まっていきます。


そのため、社会に出るまで、社会に出ても、こうした方々の一般にいわれる「健常者」が共生していく場はなかなかないかもしれません。
そうした環境だから、大人になってからそうした方々と出会うと、どうしていいかわからなかったり、腫れ物に触るような態度になってしまう。差別というか「区別」してしまう。そんな「違いに過敏になりやすい環境」が多いと感じます。

こういう時代だから、私はあえて言いたいのは「昔のように、区別せず共生する環境をつくりませんか」ということです。


区別しない環境で養われる「心の豊かさ」

あなたが幼少期通っていた学校は、学校内に「特別支援クラス」がありませんでしたか?
私が通っていた小学校はそうしたクラスがあり、同じ学校内の教室で、そうした子どもたちが過ごしていました。
結果、私はそうした環境で育って本当によかったと思っています。

休み時間も、先生に連れられた支援学級の子どもたちが、校庭のブランコなどで遊んだり、体育の時間は一緒に体育をしたりしていました。


「あやちゃん」と「けいたん」に教えられたこと

私がまだ覚えているのは、私より3つ年上の女の子「あやちゃん」。
あやちゃんは、知的特性があり、あまり感情が表情が出ない子で、いつも独り言をずっと言っている子でした。
今思えば、あやちゃんは自閉症、アスペルガー症候群を持っていた子。


彼女は、ブランコをこぐのがメチャクチャすごくて、
「ブランコが一回転してしまうんじゃないか?!空まで飛んでいくんじゃないか?!」
と心配になるほどの高さに到達し、いつも漕ぎながら「きゃーキャー♬」と嬉しそうにブランコを漕いでる姿が印象的でした。


私も含めた児童たちは、あやちゃんを「ブランコのエキスパート」として憧れの眼差しで見ていました。
「すげー あやちゃん!」
特別おかしいとか思ったこともありませんでした。


他にも印象に残っているのは、同じ学年だった「けいたくん」。
私たちが「けいたん」と呼んでいた彼は、ダウン症の子でした。


けいたんはものすごく愛されキャラで、いつも穏やかでニコニコしていて、特に世話好き女子から人気だった天使みたいな子でした。


同じ学年なので、体育は一緒にやるんですが、今も覚えているのが水泳の時間。
けいたんはとても頑張り屋で、先生たちの熱心な指導もあり、25m泳げるようになることを目標としていました。
夏休み中もよく学校のプールに来ていて、みんなと特訓をしました。


何年生の時だったか忘れましたが、けいたんが25mに挑戦する日がありました。

ゴールとなるプールの反対側で、先生が「けいた〜 ここで待ってるぞ〜」と叫び、けいたんが25mチャレンジをスタート。
水泳の時間は同学年全くラスで行っていたので、100名以上がけいたんが一生懸命泳いでいるのを見守ります。
私たちも手に汗にぎりながら「けいたーん!けいたーん!」と必死で応援。

そして、けいたんは一度も足を着くことなく、25mを泳ぎきりました!

向こう側で待っていた先生は大泣きして、けいたんを抱きしめて喜んでいたのがとても記憶に残っています。

見ている私たちも胸がこう、カァーっと熱くなる経験でした。


正直、けいたんは足も速くないし、話す時もとてもゆっくりだし、適切な受け答えができない時もあります。
泳ぐのもすごくゆっくりだった。
でも、みんなにすごく愛されていて、今思うとそういう学校へ行けた私はラッキーだったなぁ、と思います。

なぜラッキーだと思うかというと、今もダウン症の人に会うと「あぁ、けいたんだ♪」と身近に感じたり周りと比較した「違い」にストレスを
感じないからです。


でも、今の子どもたちはなかなかこういう機会がない。

だから、外出先で見かけるそうした特徴のある子を「なんか変な子」「ずっと声出してて大丈夫?」と、多数派の「健常者視点」で判断してしまいやすい環境にあると思います。

日本はどうしても同調圧力が強い国なので、みんなと同じペースで、同じことができることを「正」としてしまいがち。
一般的な子、障害のある子が一緒に遊べる「インクルーシブ公園」も増えてはきましたが、全国的に見ると皆無といえます。



多様な人々を隠すような社会にしてしまうことは、子どもにとって幸せな環境なんだろうか。


私はもっと、小さい時から多様な人と交わる環境に子どもを置き、自分と違う人たちと特別視しない「そういうもの」として「まんま」受け入れるしなやかな心の土壌を養うことが、「子どもたちの心の豊かさ」にもつながるのではないか、と思うのです。

あなたはどう思われますか。


障害者の「異彩」に光を当てたビジネス

最近は、SDGsがトレンドでもあり、こうした特性の強い方々のポテンシャルに光を当てる事業も増えてきています。


以前も紹介しましたが、私が個人的に大注目しているのが『ヘラルボニー』

自閉症のお兄さんを持つ双子の兄弟が経営する、障害者アーティストが生み出す独自のデザイン性をビジネスに世に発信続ける会社さんです。

創業者の松田兄弟にとって、自閉症のお兄さんは「家族」。

でも、お兄さんの特性でもある自閉症アスペルガーのことを、同級生は「スペ(=自閉症アスペルガー症)」と馬鹿にした言葉として使っていたそうです。

誰かが何かやらかすことを表現する言葉として「スペ」という言葉が使われ、2人は自分のお兄さんがバカにされていることに怒りを感じていたといいます。

お兄さんの通う施設へもよく遊びに行っており、兄弟にとって「障害者」と呼ばれる人たちは、いて当たり前の存在だった。

しかし、いざ世に出てみると、そうした彼らにとっての「当たり前」がそうではなかったと気がつきます。

そして、「障害があるからこその強み」に焦点を当てた「アート」を切り口に、特性のある方々のポテンシャル、強みも世に発信続けています。

カラフルでビビッとなデザインは、どこかアフリカ布にも通じるものがあり、私も個人的にショッピングバッグを買わせていただきました。


詳細を知りたい方は、この動画がとても心にグッとくるので、お時間がある方はぜひご覧になってみてください。
アーティストたちの異彩が、本当やばいです。
(こんな圧倒的パワーのある絵、私は描けない・・・)



「ダイバーシティ」という言葉が叫ばれる現代において、個々が持っていない「強み」「魅力」に目を向けあい、自分と組み合わせていく、って「心の豊かさ」という意味で、とっても大切なことじゃないか、と個人的に思います。

今日はちょうど「世界障害者デー」ということで、特性の強い方々の切り口でこの記事を書かせていただきました。



読んでくださった皆さん、画像が全くない文章だけのブログ、お読みくださりありがとうございました。
あなたの感想など、自由にSNSでブログで聞かせてくださると嬉しいです。


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