2021/03/11 12:21

今日は3月11日。2011年に起きた東日本大震災から10年経過しました。


あの地震が起きた日、あなたはどこで何をしていましたか?

私は、当時勤めていた会社内で仕事中でした。グラグラ揺れ出して、揺れの規模がいつもと桁違い。

窓がガタガタと音をたて、慌ててデスクの下にもぐったのを覚えています。


そして、会社のテレビをつけると、そこには「宮城、福島」の文字。

宮城県は、私(店長のオカたむら)の故郷です。私以外の家族が、全員住んでいます。


上京したての頃は、「宮城県」と言うと「それって九州だっけ?(宮崎県と混同)」と聞かれる程、東北外では知名度が低かった。

だけど、宮城県は、東日本大震災で、おぞましい「津波」「被災地」ということで有名になってしまいました。

でも、私にとっては、震災関係なく生まれ育った世界一大好きな土地。


震災直後の私は、そこに押し寄せる津波の映像を、会社のテレビでただ涙を流しながら見つめるしかできませんでした。

津波が押し寄せた場所は、父と魚釣りをした島、海水浴へ行った島、友だちと花火を観に行った場所。

あの島のあのおばちゃん達は、大丈夫だろうか。あの島にいっぱいいて癒してくれた猫たちも、津波に流されてしまったのだろうか。

友人や家族は大丈夫だろうか。


あの時ほど、自分の無力さを感じたことはありません。


そして、その日から私ができることといえば、現地にいる姉を通し必要物資を現地へ送ること。

そして、宮城や福島原産の野菜、魚、お米、日本酒等を買い続け応援すること。これぐらいしか、できませんでした


その時、長男の妊娠初期だった私にとって、現地で力仕事のボランティアもできない。

東京にいながら、原産品を買って、現地を応援するしかできませんでした。


私1人の購買なんて、そんなにインパクトがあるものではないので、友人にも沢山宣伝し地元の美味しいものを薦めました。

買って地元の人たちを応援すること、そして、毎日を生きる生活費にしてもらう。商売を続けるための売上にしてもらう。

それであれば、私だけではなく、誰にでもできる。

お礼に、後日わざわざ手書きのお手紙を送ってくださるお店の方もいました。大変な中、本当に嬉しかった。


買い物は投票であり、応援。

まさに、その時それを感じ、自分で選ぶ買い物になんらかの「意味」や「自信」を持てた時期でもありました。

買い物って、自分の「こんな未来、社会を将来に遺したい」という意思表示でもあるんじゃないでしょうか。


私たちにとって当たり前になっている「安くて」「早くて」「沢山」あるものを買い、ただ「消費」続ける生活。

その陰には、安い賃金で劣悪な環境で働いている途上国の人たちがいます。

彼女ら彼らは、誰が食べるのか、誰が着るのか、誰が使うかも知らない製品を、工場で大量生産している。

そして、それを買う私たちも、それに大した思い入れもなく、ただそれを目に飛び込んでくる広告などに誘導され、買っている。


そうした社会は、誰がつくっているんでしょうか?

まぎれもなく、買っている私たちです。そういうものを買い続けた私たちが、今の消費生活を生んでいる。

でも、毎回の買い物で、価値や幸福感を感じるでしょうか。私は感じません。


私は、今商品を提供する側にいますが、当店で買っていただくお客様には、幸せになって欲しいし、なんらかの価値を感じて欲しい。

3月11日になり、改めて自分の買い物について考えると、買うものは選びたいし、自分なりの意思表示として買い物をしていきたい。

そう思います。


こう振り返ると、震災は、今のソラシスの事業に通じる経験だったな、と思います。

私が元々アフリカの人たちと一緒に仕事をしたいと思ったのは、アフリカの人々を応援したかったから。

私が、彼女ら彼らの製品のバイヤーになり、仕入れを行うことで、現地の売り上げになり、それで事業を継続できる。

その額が大きくなればなるほど、彼らの仕事も増え、人が必要な場合、そこに雇用が生まれる。

そして、同じようにアフリカ諸国の人々を応援したい、興味をお持ちのお客様へ製品を届け「美味しい」「可愛い」と感じてもらうと同時に、現地のことを少し知っていただく機会をご提供できたら嬉しいです。


震災から10年。

あなたは今、何を考えて今日を生きているでしょうか。

あなたがやりたいこと、やれることは何でしょうか。


震災は過去だけど、過去でもあり、今でもあります。

あの出来事で、生きたかったのに生きられなかった沢山の方々の命があり、その方々が生きるはずだった未来に生きる私たち。

改めて、その意味を考えて、自分に何ができるか考える1日にしたいですね。

合掌。